【社会問題】ミャンマーの戦争遺児
2019年3月、ミャンマーへ。
国全体についてはこちらをご覧ください。
ミャンマーで強く印象に残ったことの一つが、孤児院のこと。
日本では児童養護施設という言い方が妥当かもしれませんがあえて孤児院と書かせていただきます。
世界のいろいろな国で孤児院を見せていただくのですが、孤児院には社会問題が凝縮されていると感じます。
具体的には、そこにいる子供たちがなぜ親と暮らせないかという理由を考えると、社会問題が浮き彫りになります。
例えば、生涯を持つ子供に対して偏見のある地域では、障がいのある子供が育児放棄されたり捨てられたりするので、孤児院はさながら障がい者施設と化します。
人種によって経済的階層に差が出るような国では、貧しくて子供を育てられない親によって預けられたマイノリティの子供たちが多くいたりします。
日本では、児童虐待が大きな問題となっており、児童養護施設を覗けば虐待サバイバーの子供が多くいます。
大人たちが抱える問題はこどもに直接影響します。
だからこそ、社会で起こっている問題の被害を受けるのは子供たちであることが多く、児童養護施設を見るとその国の抱える問題がわかるというわけです。
では、ミャンマーの子供たちはどうだったかというと、
ミャンマーの社会問題といえば、
やはり他国との関係性や政治ということになるでしょうか。
ロヒンギャ難民のニュースをよく聞くように、宗教や人種の異なる人々に厳しい政策や、国境線での紛争などが現実に起こっています。
中国やインドとの国境線では紛争が絶えず、私のような観光客は危険なので絶対に近づいてはいけない場所です。
だから、国境沿いの紛争のことを実感する機会はなかったのですが、
孤児院では違いました、、、
タイの国境の方面、
郊外の街の孤児院に行きました。
いたって普通の孤児院。
女の子だけを集めた施設です。
とはいえ日本のそれとは全然違います。
個人や少人数に分けられた部屋はなく、だだっ広い大部屋に仕切りもなく雑魚寝。
常に人と一緒の生活。
しかしその点を除けばかなり整った環境。
掃除の行き届いた施設、広さも十分、庭もあり、遊ぶ道具やアクティビティも充実している。
まず施設を一通り見学。
昼食をとった後は子供たちが集まり、私たちに歓迎の歌を歌ってくれました。
で、子供はやっぱりかわいいなあとか思い、
とくに表情が暗いとか目立って気になることもなかったので、その子たちが孤児であることも忘れて普通に楽しんで、
お礼に私たちも歌や踊りをさせられ、、、
ふっと気になり施設の人に聞いてみる
「この子達はどういう理由でここへ来たの?」
答えが驚きだった。
「国境沿いの村で紛争に巻き込まれて、親を亡くした子たちよ」
きけば、ここにいる子供たちの多くはヤンゴンの出身ではなく、中国との国境沿いにある村の出身で、そこで起こった紛争によって家族を亡くしたり、家族が負傷した、あるいは戦場に駆り出されたことによって家族と離れなくてはいけなくなった子たちなんだとか、、、
田舎の村なので、両親が亡くなったとなれば親戚も同時に亡くなっていることが多く、身寄りがなくなるんだそう。
親を亡くしただけでなく、生まれたところから遠く離れ、全く違う生活環境の中に放り出されてここにいる、、、
というのも、中国の国境沿いの村では、ヤンゴンとは住んでいる人種が異なり、生活スタイルや言葉に至るまですべてが違います。
子供たちにとっては一人も知り合いのいない外国にいきなり飛ばされるようなものなのです。
この写真の女の子、顔が少し中華系っぽいのがお分かりいただけるでしょうか。
中国国境の村出身、この施設に来たときは言葉を覚えたてのよちよち歩き、
言葉が通じないので一言も話さず、笑うこともなかった、、、
そんな彼女は、今では故郷の言葉を忘れてしまったという。
故郷で家族と暮らせないとなったら、何が彼女にとって幸せなのかわからないけれど、
生まれたところの言葉や家族のことをすべて忘れ、新しい言葉で違う民族の友人と語り合い、無邪気に笑う子供の顔が、今も忘れられない、、、
話はそれますが、、、
貧困を理由に児童養護施設に預けられる子供は世界中に多くいます
でも、ミャンマーでは違うんだなあ
そこにはミャンマー独自の事情があります
貧しい家の親は子供を養えないときどうするか、
寺に預ける。
それがミャンマーでの答え。
ミャンマーでは小学校に上がるくらいの年代の子供たちが最低二週間ほど出家するのがお決まり。
男女関係なく頭を丸めて寺で過ごすんです
で、信心深い家庭だったりすると二週間どころかそのまま修行させてお坊さんに育てる、というのがあるあるなんですが、、、
家庭が貧しい、兄弟が多いなんていう理由で寺に住んで僧になる子供も多くいるんです!
みんなが寺に寄付をする文化なので、寺にいれば生活に困ることはないし、僧院学院という寺の学校で算数なんかも全部学べちゃう!
ミャンマーの孤児院事情は、ミャンマーの社会のいろいろな側面を教えてくれる興味深い物でした。
今回はこの辺で、
ではまた~
いざ、憧れのウユニ塩湖へ。現実的な話。
一生に一度は行きたい場所として日本人に大人気のウユニ塩湖。
一面に広がる塩湖が水で鏡張りになって、空と一体化している様子は圧巻ですよね。
私も、父がウユニ塩湖にあこがれていたことに影響されて小さいころからいつか行きたいと思っていました。
今回は、ウユニ塩湖へ実際に行くことを考え、現実的な話をしようと思います。
絶景は最後に見せますから、お待ちくださいwww
さてここで問題です。
ウユニ塩湖はどこの国にあるでしょう!
ウユニ塩湖は知ってるけど、どこの国にあるかなんて考えたことない!!
正解はボリビア
どこやそれ、、、
はい
ここです。
南米大陸にあるんですね。
で、知り合いの児童養護施設をたずねてボリビアへ行くことになり、
だったらウユニ塩湖行くしかないじゃん!
ということで安易に決定。
2019年夏、ボリビアへ向かいました。
パナマに滞在していたので、そこからコロンビア経由でまずビルビルという街へ行きました。
そこが知り合いのいる場所。
パナマでの様子はここからご覧ください ↓
そこで三日間過ごした後、飛行機でウユニへ。
ウユニに行くにはいろいろな方法があります。
首都ラパスに行き、そこからバスで向かう方法。
それから飛行機で直接ウユニまで行く方法です
この場合、日本からの便はラパス経由か隣国ペルーのリマ経由になるかと思います。
時間がある方はバスがおすすめです。
え、飛行機のほうがラクでいいじゃん、
と思うでしょ。
理由があってですね、
高山病のリスクを軽減するため、です
実は、、、
ウユニ塩湖があるのは標高約3700mの高地。
富士山の山頂くらいの高さなんです!!!
標高2000mを超えると、高山病のリスクが高くなるといわれていて、高齢の方などは1500m程度でも高山病になる危険があるんだそうです。
だからウユニ塩湖へ行くには何らかの対策が必要です。
で、おもに二つ方法があり、
1.高地順応
2.高山病の薬を服用
おすすめなのが高地順応というわけです。
一般的に、バスを利用して、コチャバンバという街で一泊しながら順応し、ウユニへ向かうのですが、これが最も安心な方法です。
ですが、私たちはかなりタイトなスケジュールだったので、高地順応の時間をとることができず、、、
しかも標高500mほどのビルビルから飛行機でいきなり3700mの高地に行くとなると非常に危険。
というわけで
クスリを服用することになりました。
トラベルクリニックや渡航者外来のある病院を受診しお医者さんと相談してください。
低血圧や貧血、片頭痛、その他持病のある人は特にきちんと相談してください。
私はダイアモックスという高山病対策の薬を処方していただきました。
高地に行く前に飲み始めます。
私は片頭痛持ちだったので高地に不安がありましたが、くすりを飲んだおかげで無事に過ごせました。
一方、私の友人は低血圧で、血圧に影響する作用があるこの薬を飲んだら具合が悪くなり、、、
めまいや吐き気で死んでました、、、
お分かりいただけたかと思いますが、飲まなかったら具合悪くなる人もいるし、飲んで具合悪くなる人もいるんです。
だからお医者さんに相談してください、ってこと。
そんなめんどくさいならなんもしないでいけばよくね?
と思うかも。
それも危険!!
高山病を発症した場合、できる治療はただ一つ、
「高地から下りて標高の低い場所へいくこと」
つまり、ウユニ塩湖で高山病を発症したら何も楽しめないままウユニを離れなくてはいけないんです。
そして肺に水がたまると命にもかかわります。
対策はしっかり。
そのうえできちんと水分補給をして休養はしっかりとること。
はい、これで無事にウユニにつきますね。
驚くほど小さな飛行機に乗り、
飛行機からきれいな朝焼けを楽しんでいるうちにあっという間にウユニへ到着。
たどり着いた空港は、
驚きの小ささ。
飛行機のタラップを降りて振り返ると、、、
なんもない!!
空港も平屋建ての小さい建物が一つだけ。
保安検査もがばがば。
降り立ったのは全員観光客で、それぞれホテルの人に迎えてもらって出発。
町中に出ると哀愁しかない!!
砂っぽくてさびれた感じの街並み、、、
観光地なのにここまで何もないのか、とおどろきながら、
まず列車の墓場に寄って、
ホテルで休息と昼食をとり、
いざウユニ塩湖へ!!
今回はこんな現実的な話だけのつもりだったんですが、
せっかく最後まで読んでくださった方のために絶景写真だけお見せしますね。
観光の詳しい話はまた次回。
ではでは~
マニラで出会ったヒーローおばさん
旅にトラブルはつきものです。
まあ、今回は自分が悪かったんですけどね。
マニラ滞在最終日、
大きなモールに行ってお土産にお菓子やらなんやらいろんなものを買い、おいしいジェラートを食べてご機嫌で帰ろうとしていた私たち。
手元の所持金20ペソ、およそ40円
モールからステイ先の家までは5㎞近くあり、歩くには遠いのでジプニーに乗ろうと思っていました。
それには二人で18ペソあれば十分です。
そんなわけで20ペソだけ残しておいたんですが、、、
ジプニーに乗れない!!!!
ジプニーの乗り場へ行くと、
「きみたちの行きたい方向に行くジプニーは今日はもうないよ」
と。
え!!!
まだ四時過ぎなのに!?
ということで、
路頭に迷うわけです。
ジプニーが無理、
で
タクシーも一回300円はするから無理。
じゃあ、
トライシクルだ!!
ということでトライシクルのおじさんに聞く。
「20ペソでどこまで行ける?」
すると
「そこの曲がり角までだね」
え!?
たった50m?
聞き間違えだよなあ、
このおじさん英語よくわかってなさそうだし。
でも、トライシクルに乗れなければ他に代える手段は歩きだけ。
暗くなってから歩くのは危険。
優しい英語でとにかくトライシクルのおじさんに食い下がっていると、
「あんたたち、どうしたの?」
と歩み寄ってくるおばさん
もめている雰囲気が遠くからでもわかり、
通訳しに来てくれたのだ。
おばさんの分かりやすい英語でもやっぱり現実は変わらず、、、
歩くしかないのか。
途方に暮れた私たちの顔を見て、
おばさんが、
「途中までになるけどあいのりしていく?」
と。
信用して大丈夫かな、、、
と一瞬迷ったが、明らかに買い物帰りの生活感あるおばさんだし、なんか大丈夫な気がしたので相乗りすることに。
(よい子はまねしないでね)
少しでも近づけばいいや、程度におもっていたのだけれど、
手元の地図で確認していると、どんどん近づいていく!!
(こういう時は地図で現在地を常に確認して、変な場所に連れていかれないか警戒し、警戒していることをアピールする)
着いた場所は家まで2㎞の小さなマーケット
歩ける!!!
お礼を言ってトライシクルを降りようとすると、
おばさんが
「あんたたち、行先の番地は?」
と聞いてくる。
なんでそんなこと知りたいんだろう、
と思いながら、
〇〇通り38番、と答える
するとおばさんは、たったいまおつりで運転手から受け取った100ペソを運転手に返し、
「このお金でこの子達〇〇通り38番地まで連れてってやって」
と。
え・・・!?
唖然、、、
おどろいて一度固まる
しかしその間におばさんはじゃあね、と離れていこうとするし
私たちを乗せたトライシクルはエンジンをかけた。
慌ててお礼を言う
「ありがとう、ほんとにありがとう、助かったよ!!!」
おばさんの姿がなくなるまでお礼を叫んで。
そこから家に帰るまでの間、起こっていることが現実とは思えなくて、
興奮して、驚いて、ちょっと泣きそうで、、、
あっという間に家についた
暗くなる前に、帰ってこれた。
マニラでは、治安が悪いと有名で、他人を信用しないのが大原則。
こんかい、子供っぽい見た目の女子二人で、なんの事件にも巻き込まれなかったことのほうが奇跡なのかもしれない。
でも、こんなにやさしい人がいることがわかって、信用してみてよかったと思えた。
旅には、冒険と、危険と、奇跡と、優しい出会いがあふれている、
だからやめられないんですね、、、
ではでは。
【まとめ】近くて遠い国、フィリピン
2020年2月、フィリピンへ。
実はフィリピンに行くことはたった二週間前に決まったこと。
本当は中国の上海に行く予定だったんです。
ところが、ご存じの通りコロナウイルスが急速に流行りだした時期。
様子を見ていましたがとどまることを知らない勢いに泣く泣くあきらめてキャンセル。
詳しい話が気になる方は下のリンクから飛んでみてください。
で、代わりにチケットが取れたのがフィリピン。
というのも、一緒に行く友人が休みが取れず、月曜の深夜に出発して、土曜の朝に返ってこなくてはいけないという弾丸スケジュール。
そのため、都合のいい便はなかなかなく、、、
加えて中国経由の便がキャンセルになるなどして東南アジア方面は結構全滅に近く、、、
奇跡的にフィリ〇ン航空のチケットが往復でとれたんです
さて、旅の準備は目まぐるしく、、、
だってフィリピンのこと何にも知らないんですから!!
行先は首都のマニラ。
私は、どこの都市でも地元の人やそこに住んでいる日本人になるべく連絡をとり案内してもらうことにしています。
そのほうがいろいろなことが見えてくるし、泊めてもらえたりすると安心ですから。
今回も大慌てでツテ探し。
で、見つかりました。
学校の校長先生をしているフィリピン人と、泊めてくれる日本人を発見。
というわけで一度もホテルに泊まることなく旅をさせていただきました。
安心、、、
【フィリピン共和国】
首都はマニラ
まあまあ英語が通じるけど貧しい地域とかだとやっぱり。
日本人に人気なのはなんといってもセブ!!
英語留学にリゾート、最高ですね。
スタディーツアーでボランティアをしに行ったなんて人も多いかも。
首都のマニラは観光するには治安が悪すぎるといわれてあまり日本人が訪れてこなかった場所。
【食べ物】
日本人には食べやすいものが多い。
日本人も慣れている甘めの味付け。
ただ、そこに酸っぱさが加わったものも多く、いつもの味に似ているのにちょっと違う、というのが地味にストレスになるかも。
アドボーという照り焼きチキンみたいなのがおいしい。
それから何より食べてみてほしいのがフルーツ!!
日本のバナナのほとんどがフィリピンからの輸入であることからもわかるように、フィリピンではたくさんの南国系のフルーツが取れます。
マンゴーが安いのが魅力的!!
値段と甘さが比例するので、少し高いやつを買うのがおすすめ。
それでも1000円しないです。
【人間】
マニラは治安が悪く、知らない人を信用するのは危険、と地元の人も口をそろえて言う。
基本的に知らない人とは関わらないようにして過ごしていたのだけれど、知らないおばさんにすごく優しくしてもらったエピソード、ぜひ読んでください。
【交通】
マニラでは、メトロ、陸上の鉄道、バス、タクシーの他に、ジプニーという均一料金の超安価な乗り合いバス、トライシクルというバイクタクシーがあります。
長距離移動に便利なのはメトロ。
地図で見ると空港の近くまで線路があるように見えますが、実際は歩いて40分ほどかかります。
陸上の鉄道は一時間に一本あるかないかというレアもの。乗る機会はないと思います。
バスは、空港から市内に行くときに便利。乗車場所が分かりにくいです。
タクシーはやはり割と頻繁に利用されていますが、信用できる人に頼んで読んでもらってください。
ジプニーは超安い。20円くらいで乗れる!!
どこまでいっても同じ料金だが、乗り方がとにかく難しい。行先の表示がない。乗っても降りる場所の表示もない。乗ったときに降りる場所を自己申告しなければならない上に、停留所もないので止まっているすきにさっと降りるという激ムズな移動手段です。冒険心のある方、ぜひ!!
トライシクルはバイクに人を乗せるスペースをくっつけたもの。タクシーの次に効果ですが、近所のちょっとした移動によく使われます。
【感じたこと】
フィリピンは日本人にとって身近な国です。
フィリピン産のものが身近にたくさんあるし、日本に住んでいるフィリピン人も多いです。
そして、同じアジア圏でアメリカの影響を受けている国として、文化的に似たところもあります。
だから、行く前は、フィリピンのことを自分は結構知っていると思っていました。
でも、行ってみたら知らなかったことばかりだし、予想外の形で日本とのかかわりが見つけられたり、社会問題を突き付けられたりと、全く違う印象でした。
近くて遠い国、ですね。
マニラでの観光の話などはまた次回!
ではでは~
【社会問題】インドに残るカースト差別
今回はまじめに、インドの社会問題について書いていこうと思うます。
カースト、という言葉は皆さん耳にしたことがあるかもしれません。
スクールカーストとか、日本でも使いますからね。
そのカーストというのは、インド由来です。
インドの大多数の人が侵攻しているのがヒンドゥー教で、そのヒンドゥー教の身分制度がカースト制度です。
じつはカースト制度というのはポルトガル人たちが付けた名前で、インドではヴァルナ、ジャーティー、といわれていますが、まあ馴染みがあるのでカーストで行きましょう。
で、職業で分けられて、同じ身分の中でしか結婚できないとか、身分が違ったら一緒に食事できないとか、いろいろあるわけですが、上のカーストの人たちの、舌のカーストの人たちに対する差別がひどかったので、カースト差別はよくないという話になり、1950年に法律で不可触民(最低レベルのカースト)への差別禁止が定められました。
だから、インドにカースト差別はない、もう終わったと思っている人たちがインド国内外問わずかなりの数いるようです。
私も、インドに行く前はカースト制度は歴史の話だと思っていたんです。
それで、実際に私が見たこと、聞いたことをお話ししますね。
まず、前置きで言っておきたいのは、インドは文化の地域差が大きいので、私が経験したことがどこの地域でもそうということはありません。
それから、私も現地で人の話を聞いたに過ぎないので、その人の話が嘘や盛ったものだったら、ということもあります。
なので全部「事実」として鵜呑みにするのはご遠慮願いたいのですが、知ってほしいという私のわがままです。お許しください、、、
私が見聞きしてひどく驚いたのは、田舎の村の未亡人への差別です。
差別用語なので寡婦、といったほうがいいかもしれませんが、現地での言い方そのまま採用させていただきます。
未亡人はカーストのどこに位置するかというと、不可触民は不可触民なんですが、なんと、死体と同じカースト。
未亡人に会ったらその日は不幸が起きるとか、本気で信じているようです。
未亡人になったらどうなるかといいますと。
まず嫁いだ先の家から追い出されるのですが、財産は全部夫の家にとられます。
一文無し、家無し、仕事なしで放り出されます。
ちなみに子供も一緒にです。
さあ、実家に戻ろう。
甘い、、、
実家も未亡人は受け入れてくれません。
超寛大に受け入れてくれたとしても一生外に出られない半地下軟禁暮らしです。
というわけで一文無し、家無し、仕事なし、もっと言えば就職スキルなしで路頭に迷うんです。
日本みたいな生活保護なんてないですよ。
なくはないけど簡単に受給できないし、社会を知らずに家で働いてきた未亡人には難しすぎる。
どうするかってもう死ぬしかないでしょ。
だからね、未亡人の自殺が後を絶たないんです。
昔、インドでは亡くなった夫を火葬する火の中に飛び込んで後追い自殺するのが女の美徳とされていました。サティといわれる文化です。
これは悪しき習慣として禁止されるようになったのですが、火葬後、こっそり首をくくったりして亡くなる未亡人が多いんです。
それは、未亡人のひどい扱いを知っているからでしょう。
サティの文化があったことにより、女性が一人で生きていくというのを許容する社会が作られなかったというのもあるんでしょう。
自殺しないで強く生きる女性も多くいます。
頼れるものもお金もなく、人前を歩くこともおしゃれをすることも許されない過酷な生活で、子供を巻き込まないように泣く泣く子供を養子に出したりして。
私はそんな女性たちの自立を助ける活動に参加してきました。
女性たちが収入を得られるように、グループを作ってそこでお金を助け合う自助的なシステムで、外からの支援がなくても運営していくことができる仕組みを作りました。
自分たちの力で持続可能かというのが重要ですから。
それからもう一つ大事なのが、地域全体の意識改革です。
差別はいけないんだ。
未亡人は不吉じゃなくて同じ人間だということをみんなに分かってもらえなかったら、根本的には解決しません。
ただ、こちらは一筋縄にはいかないですね。
人の価値観を変えるというのは本当に大変なことですから。
だからまず、未亡人の女性たち自身のエンパワメントをして、自信を持ってもらうことにしました。
未亡人の女性たちの多くは、自分たちは不吉で、生きている価値もないと信じています。
自分たちがそんなじゃ、地域に向かって働きかけるなんて無理ですから、そこの意識をまず変えようというわけです。
これは、四年ほどたって効果が出てきました。
おしゃれをしたり、昼間堂々と街を歩ける女性が増えました!!!
今後、こうして意識改革の波が広がっていくことを期待します。
最後に、難しい話ですが大事なことを。
「文化相対主義」という言葉を聞いたことがありますか?
バカっぽい言い方をすれば
「みんな違ってみんないい」
ってやつです。
何が言いたいかというと、
今回の記事は、ある意味
カースト差別なんてダメな文化だ。やめたほうがいい。
というスタンスでやってきたわけですが、その価値観ってあってるの?って話です。
みんな平等がいい、というのはこちら側の考えです。
歴史的にずっと行われてきたことを否定する権利も、平等が絶対正義なんだという考えも、押し付けるのは違うかもしれないのです。
外国から(違う文化圏から)、どこかの国に
いわゆる国際協力、をするとき、壁になるのがこれです。
どこまで口出して変えさせていいのかっていう。
今回に関しての私なりの結論。
カースト制度は文化。否定しない。でも、カースト差別は絶対にダメ。
差別されている張本人たちと話す機会があったので聞いてみたんです。
「カースト差別についてどう思う?差別はなくなってほしいでしょ?」って。
答えは驚き。
「カーストは文化なの。だから差別されるのは仕方ないのよ」って。
その考えだけは、ちょっと変わってくれるといいんだけどな、と思ってしまった、、、
みなさんも、何かお考えがあればお聞かせください。
ではでは。
なんか落ち着く国パナマ
パナマ運河をご存じですか?
太平洋と大西洋をつなぐめちゃくちゃ大事な場所です。
パナマ運河がなかったら、船は南米大陸をぐるっと回っていかなくてはならないんです。
でもすごいのはそこじゃなくて、この運河、山を越えるんです。
え、船が山を超える?
無理でしょ。
あ、川を上っていくのか。
いいえ、水でエレベーターを作っているんです。
難しい言葉では閘門式、というんですけど。
とにかく、私はこれを中学の地理で習ってやけに惹かれてしまい、いつかいきたいなあなんて思っていたんです。
行く機会は案外はやくやってきました。
2019年夏、いざパナマへ。
直行便ではなくメキシコ経由で。
余談ですが、パナマへの飛行機はメキシコ経由やロサンゼルス経由など、面白い経由地が多いので一日観光するのもおすすめですよ。トランジットでメキシコへ行った話も今度書きますので。
パナマの空港に到着。
首都のパナマシティです。
大きい空港の割には空港の周りがすぐ道路、みたいなタイプの空港。
駐車場を突っ切って大通りに出て中心地行のバスを拾います。
空港と市内を結ぶバスはめちゃくちゃきれい。
パナマ市内に二種類あるバスのうちの高級感あるほう、ですから。
実はこの時すごーく不安だったんですよ。
なんでかってね、
その日泊まる予定の家と連絡が取れていなかったんですから。
メールしても一向に返事が来ないんで、電波がないのかなあと思って、仕方ないから突撃訪問することにしたはいいけど、追い返されたらどうしようってね。
大きなターミナルで高級感ないほうのバスに乗り換え。
このバス、地元の人も警戒するくらい治安の悪いバスだったというのは後で聞いた話。
スペイン語が少しわかるので乗り換えはそこまで困らずできました。
SuicaみたいなICカードを購入するのが便利だけど、危ないほうのバスの支払いは現金も必要。
ドルも使えます。
どのバス停で降りるかわからないから運転手に地図と住所見せて降りるとき教えてと頼んだ。で、言われた場所で降りたら、
どこだここ?
家より全然遠いじゃないか。
家まで山ふたつ超えなきゃいけないから、歩いては無理よ、と通行人に言われ、
タクシーに乗る羽目に、、、
まあ、着いたからいっか。
でね、突撃訪問は成功したかって。
はい。成功です。
家主が外出していて、三時間くらい待ちましたけど、泊めてくれると。
でも、どこの馬の骨だかわからない私たちを、家主が帰るまで、シャワー浴びさせてくれてご飯食べさせてくれて部屋で休ませてくれた管理人さんに乾杯!!
って感じ。
結局その家はWi-Fiがビンビンに飛んでいて、なんで返信が来なかったのかは謎、、、
【パナマ共和国】
スペイン語圏ですね。
首都はパナマシティ。
で、通貨はバルボアだといわれていますがドルだけで生活できました。
で、人口も多くないし大した産業があるわけではないんだけどめちゃくちゃお金持ち!!
運河がありますからねえ。
税金の使い方というか、国家のお金の使い方もやっぱりちょっと羽振りがいいみたいに見えますよ。
で、私が五日間ステイした家が居心地がいいっていうのももちろんあるんですが、パナマはすごく落ち着く国でした。
理由はたぶん、ちょっと日本っぽいからです。
生えている植物や、日常的に目にする鳥などが日本で見るものに近く、街並みや土地の使い方も、日本の郊外の都市みたいな感じです。
気温と湿度の感じも似ている。
【治安】
行く前から治安におびえてたとかそういうのはなく、特に治安が悪いイメージもなく。
で、行ってみて結果的に治安悪くないかな。
という印象。
ただね、やっぱり地元のバスだけはめちゃくちゃ治安悪い感丸出し。
チキンブスといわれるバスで、パナマシティのターミナルから市内どこでも行ける地元バス。利用客も時間帯問わず多い!
外国人ゼロ。
これが怖くて、まず、アウェー感がすごい。
飛び込んでいかないと誰も世話してくれない。
で、車体が古い、そしてヤンキーの車ばりの車体の装飾。
プラス、ガンガン音楽。
混雑して来ると二人掛けなのに三人座るからスリとか怖い、、、
でも何回も乗ったけど何も起こりませんでした。
【観光】
正直やることないです。
パナマ運河だけ。
観光業に頼らなくても外貨獲得できちゃうからねえ、パナマ運河偉大!!
【食事】
ごめんなさいね、先に言っておきますが家庭料理しか食べてないです。
でもね、めちゃくちゃおいしい!!
辛くない!そして優しい味がほんのり広がる系の味付け!
塩ベースだけど、うまみたっぷり!
野菜炒めと煮魚のプレートが絶品でしたね。
ほとんどコメを主食にしていたと思います。
で、変かもしれないけど、ハムがめっちゃくちゃおいしかったんです
どこのハムなのかも、なんでおいしいかもわかりませんが、、、
これです。みつけたらぜひ、おためしあれ。
ホテルではパスタやピザが楽しめました。
【人間】
必要以上に絡んでくる人がいない印象です。
日本人には心地よい距離感。
ただ、困ったときに自分から声をかけなくてはいけないのでそこは勇気がいりますね。
英語通じませんから。
さて、大好きなパナマ運河の話をしたいのはやまやまですが国の概要だけ話せたので、
また今度、
ではでは~
ぎゅっと詰まった国、南アフリカ
アフリカ大陸に行きたいけど、やっぱりちょっと怖いし、、
と迷っていた時に、南アフリカに行かないかという話があって、
即決!
、はできなくて、迷ったけど、不安になってちゃ一生行けない!
と覚悟を決めて。
2019年2月、南アフリカに向かいました。
贅沢にもエミ〇ーツ航空を利用してドバイ経由で、まずは北部の大都市ヨハネスブルクへ。
【南アフリカ共和国】
この国はすごいですよ、
なんでかって、
公用語、11個もある!!
アフリカ大陸では珍しく英語が使える国!それに加えて植民地時代の名残のオランダ語に似たアフリカーンス、そして現地の言葉が9もある!!
それで、面白いのが首都。
なんと三つもあるんです!!
プレトリアに行政、ケープタウンに立法、ブルームフォンテーンに司法の機関がそれぞれ分けて設置されていて、その三つが首都なんです。
その三つは日本で行ったら東京と大阪と福岡みたいな感じでバラバラの離れた場所にあるから驚き。
んで、経済の中心というか、一番栄えてるのはプレトリアの近くのヨハネスブルク。
ここはアフリカ大陸三大凶悪都市だの、世界危険都市ランキングだのに数えられるような超治安が悪いところ。
お金が欲しかったらどうどうと銃を突き付けて奪うというこわーいかんじ。
【治安】
あ、なんかもう治安の話してましたね。
ヨハネスブルクはとにかく治安が悪いんだなというのがよくわかる街で、外国人だから危険とかではなく、地元の人も警戒する感じ。
お金持ちの人の家のセキュリティがものすごい厳重なので、それを見て逆に怖くなった、、、
こんなまでしなきゃいけないのかって。
もう一つ言えることは、地域によって違うということ。
都市と田舎でも全然違うし、南アフリカの都市部では、アパルトヘイト時代の分離政策の名残で白人の住むところ(現在でいえば富裕層が住むところ)と、貧しい人の住むところがはっきりと分かれています。その両者での治安の雰囲気は全く違うものですね。
まあ、日本の高級住宅街と日雇い労働者の街が全く違う雰囲気なのと似ているかもしれません。
っていっても南アの高級住宅街は日本の比にならないくらい豪華で、ビバリーヒルズ並みだし、南アの貧しい地区はより雑多で過酷ですけれど、、、
とにかく、南アでは狙われたら命まるごともっていかれますから、目を付けられないことが大切。
アクセサリーやブランド物はなし。
絶対に夜は出歩かない。
【食事】
私、豆が苦手なのでアフリカの料理苦手なことが多いんですが、南アでの日々の食事は完全にヨーロッパなので大丈夫!!
毎日、ステーキとかハンバーガーとか。
アフリカンなお店は選んで入らないとなかなか、、、
しかもいいお店。
日本のファミレスと料亭的な?
というわけなので胃もたれする方はクスリ必須!!
あとビタミン剤もあるといいかもしれないですね
【物価】
日本と同じです。
ものによっては少し高いかも。
【観光】
やることめちゃくちゃ多いですよ、、、
だってね
アパルトヘイトの歴史について勉強、
サファリで動物に合う、
人類誕生の地アフリカ、を感じる博物館や洞窟、
アフリカ大陸南端といえばの喜望峰、
公用語がいっぱいあることからもわかるように文化を知るのも一苦労、
それからなんとアフリカなのに野生のペンギンにも会える!!!
私がやったことだけでもこんなにありますからもっともっといろいろできますよ!!
さて、書くことがいっぱいありますがこの辺で、
またじっくり書いていきますからね
ではでは~